子どもが知的障害かも!?いつはっきりわかるもの?
そんな疑問、ありますよね。
娘の知的障害がわかったのは3歳8か月の時でした。
軽度の知的障害としては、早期発見だったかもしれません。
軽度知的障害は、幼少期にはさほど周りと差が出るわけではないので、とても分かりにくいです。下記の記事にも記載があります。
このページにもあるように、軽度の場合は小学校に入ってからわかることが一般的なようです。
幼少期は、気になることがあっても「個性」なのか「性格」なのか「障がい」なのか、という微妙な境目。娘も自治体の心理士さんに3歳前にわがままがひどく相談に行った時も、特に知的、発達については指摘されませんでした。
むしろ、イヤイヤ期で正常な成長ですよー、と言われたくらい。
実際発達相談を受けて出してもらった診断でも、知的障害、とは明言されず、知的境界域、知的ボーダーという言われ方をしました。
とてもあいまいな表現で戸惑ったし、だから具体的にどうしたらいいの?と思った覚えがあります。
今回は、軽度知的障害と診断されたときの私の気持ちと障がいの受け入れについてお話します。
このブログは、
軽度知的障がいを持つ高校生娘の記録です。
知的障がいと分かったのは3歳8か月の時。
田中ビネー:64 wiskⅤ:70前半です
(療育手帳取得済み)
特別枠を利用し、公立高校に進学。
運動、おしゃべり好きな女子に成長しました。
知的障害との診断をうけて
入院先での病院で、気軽な気持ちで受けた発達の相談。
特に、発達や知的障害について知識がなく、ただちょっと言葉のセンテンスが短いな、と思ったことからの相談でした。
担当の先生はうまく子どもと遊びながら(遊ぶように見えながら)、検査をしてくださっていて(これもあとから検査だと知りました)、結果、知的境界域=ボーダーです、とおっしゃいました。
この頃特に娘との意思疎通に困っていたわけでもなかったので
- いったい何がボーダー?障がい?
- 普通に生活できているのに??
- 頑張れば追いついて差がなくなる?
- いずれ、治るもの?
そんなことが頭に浮かんで、ショックというよりも
- 今後どんな子に育つのか
- 意思疎通ができなくなってくるってこと?
- 集団生活はできるの?
そんな心配が頭をよぎりました。
それと同時に、定型発達だと思っていた娘が今後、退行していくようなイメージがわいてしまい不安だったのです。
夫の言葉に衝撃を受ける
ああ、高校はいけないね
知的障害と言われたこと自体にはショックはそれほどではなかったですが、衝撃的だったのは
この夫の言葉。
夫は当時子どもの成長に関わる仕事に若干携わっていて、幼少時にこういった診断を受けた子たちのその後の例をたくさん知る立場にありました。
小中高大と、当たり前に過ごしてきた私にとって、高校に行けない、という言葉がすごく衝撃的で、それはいったいどういう事?と自分の中では考えられなかった世界を突き付けられました。
軽度知的障害、知的境界域、知的ボーダー、どの言葉よりも「高校に行けない」という言葉が重かったのです。
子どもの障がいの受け入れ
夫には「障がいを受け入れないと先には進めない」とさんざん言われましたが、今から思うと発達や知的障がいの世界についても全く知識がない中で、「受け入れ、受容」と言われても、いまいちピンと来ませんでした。
だから、わかってるって!わかってるから療育の手続きとかしてるじゃん
そんなふうに反論したのを覚えています。
先のことはわからないけど、とにかく何かしなくちゃいけない、なにかしたらこの先いいことがあるのかも。そんな曖昧な世界観でした。
でもこの時点では子どもの障がいのことを具体的になにも把握できていない状態。夫には現実を突き付けられましたが、本来この時点では子どものためになることを一生懸命やっていこう、そんな気持ちでよかったんだと思います。
この時、夫はそんな発言をしたことを発達の先生からかなり怒られていました。
あなたは仕事上見ているかもしれないけど、親は時間をかけてゆっくりわかっていくもの、と。
確かに、何が障がいなのかよくわかりもしていない嫁に「受け入れろ」とはずいぶん無謀なことを言ったな‥と今になって苦笑い。
こういうことができないからこういうことをやっていこう、と1つ1つ子どもの難しい点を見つけていくなかで、子どもの特性がわかり、限界を知り、気持ちが整理できて行っている。。。今も私はそんな感じです。
まとめ
子どもの診断がつくと、「この子は障がい児なんだ」という目でわが子を見てしまったり、どう接したらいいのかわからなくなってしまい自分自身がしんどくなってしまった時がありました。そんな自分に嫌気がさしたりもして。
でも、子どものためにできることを探し、考え、接し、取り組んできた中で、無駄だと思うことは1つもありません。
まずはできることから。自分の気持ちにしても、子どもへの取り組みにしても10年、もしくは15年?そんなスパンの話です。
気負い過ぎず、でもできることは精一杯やっていくつもりで、向き合ってみてください。
ぶつかることは多いと思います。そんな時、私たちが取り組んできた娘のサポートの記録が、少しでも役に立ちますように。