娘は知的障がいがわかってから、比較的すぐに療育センターに通い始めました。
知的ボーダーがわかったのが3歳8ヶ月、療育開始がちょうど4歳です。
療育センターでは娘の特性を見つけていただきましたが、様々な体験をさせてもらいました。
療育ってどんなことするの?
今回は、療育でやったことをまとめたいと思います。
このブログは、
軽度知的障がいを持つ高校生娘の記録です。
知的障がいと分かったのは3歳8か月の時。
田中ビネー:64 wiskⅤ:70前半です
(療育手帳取得済み)
特別枠を利用し、公立高校に進学。
運動、おしゃべり好きな女子に成長しました。
療育ではこんなことをしました
療育でやったことは本当に多岐にわたりました。
いったいこれは何の効果が…??
と思ったこともたくさん(笑)
もっとあからさまに勉強っぽいことをやると思っていたので、驚くのと同時にちょっとがっかりしたりして。
今となっては、あーなるほど、と思う事でも、当時は回りくどくてもどかしいように感じていました。
マンツーマンの時間
- シール貼り
- ぬりえ
- カード遊び
- 手遊び歌
- 切り貼り
グループ指導の時間
- お祭り企画
- お店屋さんごっこ
- アクセサリー作り
- ゲーム(簡単なルールのもの)
マンツーマンの時と、グループの時と内容は違いましたが、
マンツーマンでは知識的なことを覚えていくことに絡めて、先生が娘の苦手を把握&それを埋めるという事にスポットが当てられていて、グループの時は、集団の中での自分の役割、周りの子とのコミュニケーションの取り方、そんなことを学ばせていただきました。
それぞれの活動で、どんなことを学べたように感じたのか、代表的なものを書いてみますね。
※これは私が感じたことなので、専門的視点ではないのでご理解ください。
シール貼り
手の使い方、意味、丁寧な動作
ぬりえ
範囲を決めて手を動かす、色の認識、力加減
カード遊び
単語を覚える、ルールの習得
手遊び歌
知識の習得、リズム感、手を動かす
切り貼り
ハサミやノリの使い方、手の使い方、適切な場所に置く
療育って、劇的に何かが変わるわけではないです。
受けたからって、障害が改善する、というわけではありません。
なにかよくなるかも!と気が焦っていると「これって意味あるの?」って思ってしまう事もありますが、療育ってあとからじんわり効いてくるもので、
ああ、あの時のはこういうことに役立っていたのね
と、感じられる種まきの作業のような気がします。
療育は焦らない
何年後、十何年後にようやく今やってたことががつながっていきます
療育の先生の言葉に、「そんな先かあ…」と思ったのを覚えています。知的な遅れがわかったときには、一刻も早く追いついてほしい、何とかどうにかしてほしい、という思いでわらにもすがる気持ちで療育に参加。
そんな気持ちなので、やっていることの意味があるのか、これで子どもがまともに育つのか、障害の程度が軽くなるのか、そんなことを考えてしまっていました。
療育って、その場で何かが変わるわけではありません。すぐに子どもが何かを覚えてやり始めるというわけでもありません。
本当に何年もたってから、うっすらと当時の働きかけの効果が、あるようなないような、というそんなレベルです。
でも、確実に療育を受けなければ気づけなかったことがあり、それが私たち親が子どもを知り、接するうえで知らないでは済まされない大切な事だったりもしました。
子ども自身も上で書いたようなことを学び、訓練する場ではあるのですが、それ以上に親が
ああ、うちの子はこれができないから、こういうふうに接していけばいいんだ
と勉強させられる場でもあります。子ども自身の成長もそうですが、子どものことを親が理解し、接し方を変えていく、よりお互いが生きやすいように学んでいく、これこそが療育なんだな、と思ってます。
とにかく、療育とは子どもを劇的に変えるものではない。自分自身が子どもを知り、接しやすく育てやすくなるためのもの。
こういう心持ちのほうが、気が楽かもしれませんね。
療育って?
今回は、娘が受けていた療育と、それを通じて私が考えさせられてきたことをまとめてみました。
療育の効果、目に見えてあるわけではありません。ですが、確実に療育なしでは私たちの親子関係は今より悪いものになっていたのでは?と思っています。
目に見える効果がないがゆえに
「これって意味がある?」と考えさせられることも多いです。
焦らず、1つずつ、将来に向けて。
1つ1つ進めていきましょうね。